なぜ手塚作品を

気分転換したいので少しマンガの話をしたいが、新しいテーマは今まだ全然まとまっていないので、とりあえずうちの雑誌の話をしよう*1と、むかしid:Mattsunさんへのメールを取り出して直してみたりする。こめんなさい、また質問文を借ります>Mattsunさん、よろしくお願い致します。

≪挑戦者≫では日本マンガの代表として手塚作品が多く取り上げられています。解説もつけて手塚作品について非常に詳細に語られています。しかし≪挑戦者≫の読者の反応を見ると、必ずしも手塚作品が積極的に受け入れられているとは限らないように思われます。
例えば(読者コーナー)「街角通信」では、手塚作品についての意見や感想よりも「台湾作家や新人達の作品を見たい」という声の方が多く見られます。また、実際にマンガ作品を作る時にも手塚作品を参考にしているものは多くないように思われます。そして、こういった状況は手塚の故郷である日本においても同様です。
このような現状において、敢えて詳細に手塚作品を解説することは台湾マンガのためにどのような意義があるとお考えでしょうか?

実は、なぜ≪挑戦者≫に手塚作品を置く?というのは、創刊前から知り合いや知り合いでもない人からさんざん聞かれた質問で、「手塚は売れない、マイナー誌のでもいいから、新しい日本作家(の作品の版権)を買えよ」とまで言われた。いちいち説明するのも面倒になってきたので、「為什麼是手塚治虫?(なぜ手塚治虫か?/中国語)」というタイトルで文章を書いて、公式サイトに置いた。その後この質問が聞かれる度に、その文章をメールで送ることにしていた。
為什麼是手塚治虫?」の中で、「台湾には手塚治虫がいないから」を答えにしていた。若いわれわれは追いかける背中が必要だ、そしてどうせ必要なら、思い切って最も大きな背中を追いかけよう、そう、「漫画の神様」だったら誰も文句はなかろう――≪挑戦者≫は、時代を背負う漫画家を育つ≪COM≫みたいな雑誌になるから、という論点だった*2
しかしMattsunさんの質問は、創刊号を発行してからかなり時間が経ったモノで、「街角通信」についても確かにその通りだった。ちょうどその前にも友人から「手塚作品を外そうと思えばそろそろ外せる頃じゃないか、それでも外そうとしない原因は何なのだ」という質問を受けたので、「背中論」や「≪COM≫みたいな雑誌になる」より、もう一歩踏み込んで考えないとダメだと思った。そして考えた。
そこで出した答えは、「漫画の文法をしっかり使った『例画』*3を読ませるため」ということだ。
台湾では、読み手も漫画家も編集も含めて「絵=漫画のすべて」という傾向は未だに強い。だけど私は、漫画は「絵」ではなく、一種の「言葉」だと思っている。汚い言葉ばかり聞くと、汚い言葉しかしゃべれなくなるし、上品なしゃべり方をマスターしようとしたら、上品な用例をたくさん勉強しないといけないと思う。それを漫画で言い換えると、いい作品を(心込めて)いっぱい読めば、自然にいい作品を描けるセンスや体質がつくだろう*4
でも現在の日本の漫画は、バブル期で達成した高度進化の結果であり、そこから基礎文法を見出すのが13〜18才の少年少女たちには過酷だし、見出せるなら台湾はとっくに漫画大国になっている気もする。では、上品で、多様で、表現がわかりやすく、そして現在の若い子が読んでも読み応えのあるテーマを持ち合わせる「いい教材」としての漫画というと、やはり手塚治虫藤子不二雄石ノ森章太郎お三方の作品しか思い浮かばない*5。さっきも言及したように、その中でも手塚作品は、≪挑戦者≫が目指す≪漫画少年≫や≪COM≫のような雰囲気も作れると思い、選ぶにはあまり迷いはなかった。
そして解説を毎回つけてるのは、30年もある時間の距離を縮めたいからだった。作品自体の元ネタ、もしくはその作品から見える手塚さんの作風の変化や変遷とかを説明したり、また時代性のあるもの、日本で発生した歴史事件をモチーフにした作品については、作品自体を解説するより、その頃の出来事や時事を重心に解説するようにと。こんな掲載方針だったら、読者も作品を介していろいろ勉強できるんだろうと思うし。
正直な話、手塚作品を外さないのは、本当は私の直感が外してはいけないと囁いてるから、外そうとしないんだけだ。しかもその感覚は、投稿コーナーに送られてきた中学生たちの漫画や小説、読者コーナーに寄せられた感想や絵はがきを読めば読めるほど、例え根拠は無くても手塚作品は絶対に外せまいと思った。せめて三年ぐらいは続けさせないと。
若い彼らにもっと基本から漫画は一体どういうもので、どこまで表現できるのを考えてほしかったからだ。連載モノだけが漫画じゃない、綺麗な絵と美形や萌えキャラだけが漫画じゃない、漫画はもっと、もっと何かあるような可能性が満ちていて、そして物語が完結しても、それを読んだ人の中にまた何かを生み出せるモノだと、認識させてたいのだ。若い子が、手塚作品を見たいか見たくないかのはあまり気にしていない。手塚作品と言って≪ブラックジャック≫さえもちゃんと読んだことのない、≪Dr.スランプ≫も≪スラムダンク≫もよくわからない世代だからこそ、有無を言わせずに「いい作品だから読め!」という感じで、教養をつけておかないといけない。いつまでも流行だけを追い、良し悪しもわからない読者ばかりでは、文化は成長どころか、成り立たなくなると思うから*6
ちなみに、アンケートには「手塚作品をもっと見たい」という声は確かに少ないが、「今月号で良いと思うコーナーを五つ選んでください」のところで記入したモノを集計したら、手塚作品はやはりいつも一位だった*7。なんだかんだ言っても、31ページも使って起承転結がやっとのうちの若衆の漫画は、29ページで人を笑わせ泣かして感動させられる70年代の手塚作品には、まだまだ全然かなわないのだ。そいつらの目標としても、手塚作品は必要だ
だから、手塚作品を。そしていつか台湾にも藤子不二雄矢口高雄のような作家が生まれてくるように、祈りながら今日もがんばろうと。

*1:これなら誰にも文句はないだろう。

*2:≪COM≫の発刊から廃刊までには、いろいろ問題があったのも知っているが、この際はその輝いた点を着目して、ほかは目をつぶろう。

*3:お手本になれる文章は「例文」だから、お手本になれる漫画を「例画」と言ってみた。

*4:本当に描けるかどうかはまだ別の話。

*5:矢口高雄作品もいいと思うが、でもお三方と比べると短編が少ないので、多様性についてはちょっと。

*6:…出版事業じゃなくて教育事業だな、これは。もし自分が社長ではなかったらとっくにクビにされていたかも。

*7:五つ選べられるところで、必ず8割ぐらいの子は手塚作品を選択に入れるね、ほかの四つはかなり方向性バラバラだが。先入観をナシにして読んでいけば、やはり何かが感じ取れるものはそこに存在しているかもしれない。